コレクションする 今後のアール・ブリュットの支え方の片鱗

 

2/18Vol.8では住居学者であり、アール・ブリュットを含め、20年以上にわたって様々な現代美術作品をコレクションしてこられた田中恒子さんが登壇。最終回である本回は、アール・ブリュットについての話を直接的にするというよりは、美術分野におけるコレクターの役割を、田中さんの活動を通じて垣間見つつ、その上で福祉施設や病院という土壌から生まれてくる作品、時としてアール・ブリュットと呼ばれる作品が、美術という土壌の中でどのように展開され、我々はそこにどのような役割を担っていくべきなのか、このような議論を聞き手の保坂健二朗さん(東京国立近代美術館主任研究員)と共に展開した。

 

まず田中さんがコレクターになった経緯から。幼少期から絵画教室に通い、ずっと絵を描くことが好きだった恒子少女は、大学進学時に美術系大学を志望するも母親に猛反対を食らう。そこで、大阪市立大学家政学部住居学科のインテリアデザイナーを目指すコースを志望。「ここなら家政学部だし、親にも納得してもらいつつ、しかも絵も描けるのでは!?」というのが彼女の当時の目論みで、難関を突破し見事入学することとなった。大学ではいつしか住居学という学問にのめり込んでいき、家を設計するということは、単にものをつくるだけでなく、暮らしそのものをつくりあげていくという考えを知る。そして、住宅問題にも興味を持ち、社会的な関心が広がっていく中、美しい住まいをつくるということだけでは解決しないような現状が世の中にはたくさんあることに気付く。そういう過程を経て、「絵を描きたい」という思いから始まった未来への関心は、いつしか日本の住宅問題の解決に向けた研究と、そこから美しい豊かな住まい方を提案していく住宅設計という方向へと向かっていく。そして彼女は住居学者としての道を、その後生涯をかけて突き進んでいくことになった。

 

一見、美術と何も関係のないような話へ向かっていきそうだが、研究者として順風満帆な人生を歩んでいた彼女のもとに、ある日、コレクター道へと繋がっていく出来事が二つ訪れる。一つは、ある日突然、研究室に「風呂敷画廊」が絵画の売り込み営業に来たのだ。そして「ミロの絵を買ってください」と言う。「えっ!そんなことってあるの?」という驚きが、それ以降「作品を買う」という美術への関わり方を明確に意識させるようになる。もう一つは、当時、執筆の打ち合わせのため、週に1度東京を訪れていた際、道中に新聞を読んでいたら展覧会評に目が止まり、銀座や猿楽町のギャラリーに足を運んだこと。そこで素晴らしい日本の若い作家の現代美術作品に触れ、しかもミロよりずっと安い値段で売っていることに驚く。そこから現代美術のコレクターとしての未来が電撃的に開かれることとなる。1989年のことだ。

 

それから20年間、関西を中心に様々なギャラリーや美術館を隈なく巡り歩き、若い作家たちの才能の輝きを見つけ、コレクションし続けてきた田中さん。そして、2009年にほぼ全てのコレクションを和歌山県立近代美術館に寄贈。同館にて、展覧会「自宅から美術館へ:田中恒子コレクション展」も開催された。その折に出版された図録に作家達から寄せられたメッセージやコメントは、コレクターと作家の関係を語る記録であり、本トークでも会場にこの図録が展示されていた。そして、田中さんにとってこのコレクション人生の中で最も印象深い作家の一人に、坂上チユキさんがいる。坂上チユキさんは有名な現代美術作家であり、同時に、彼女の様々な特性のうちのひとつである精神障害の面が助長される場合において、時としてアウトサイダーアート、アール・ブリュットを代表する作家として取り上げられることもある。彼女の立体造形作品である「さがしもの」を、自らのコレクションの中で最重要な作品として大事にしてきた田中さん。この作品の卓越した緻密さを、特殊なカメラを拵え、DVD作品の製作まで行ったことからも、田中さんのこの作品に対する思いは並々ならぬものだ。そして、彼女は改めて本トークにてアール・ブリュットについての話をすることに大変躊躇いがあったと打ち明ける。

 

「私は、これまで自分がコレクターとして生きていたことと、アール・ブリュットとの関係を考えたことが一度もなかったんです。坂上チユキさんについても、アール・ブリュットの作家だという風に全く考えていなくて、非常に優秀ないい作家だとしか思っていなかった。だから自分がアール・ブリュットについて語れるとすれば、美術作品をコレクションするということのおもしろさについて、そのことの大事さを語ろうと思いました。美術関係の方は、コレクションをする人、すなわちコレクターがいてくれないと食べてはいけない。また美術館が拡大していった景気のいい時代を終えた後に、個人のコレクターを対象にして、いかに美術が暮らしの中に存在することが楽しいかということを普及していかなければ、もうギャラリーももたないという時代になったと思っています。だから、皆さんにも作品とともに暮らすということがどんなに楽しいかということをわかっていただくのが、ささやかな個人コレクターとしての役目だと思っているのです。」

 

アール・ブリュットという言葉をわざわざ用いることの意味とは何か。この問いは本トークシリーズの全編に渡って通底してきたものである。恒子さんからの問いでもあり、また会場からもあがったこの問いに対して、保坂さんはこう答える。「僕自身の考えを率直に述べると、やがてなくなるといい言葉だと思います。ただ、それまでの通常アートの世界では扱われることのなかったタイプの作品を"そういうものもあるんだよと知ってもらうためには、一度それに対して何らかの名付けを行う過程が必要だと。そのプロセスを経て、やがてはそういうふうに呼ぶ必要はなくて、単純にアートと呼べばいいんじゃないかという風になるのでは」。そして続けて、「名づけをすることと、コレクションをするということは近い関係にあると思います。田中さんの場合、かなり幅広く集めていらっしゃいますけれども、何かテーマを定めて幅狭く集める人もいます。そういう風に作品があるテーマのもとで集まることによって、ひとつのジャンルとかある種のタイプの作品が世に知られていく可能性というのはぐっと高まるんです」。これは逆に言うと、有名な作家の作品であれば、一品でも価値がつきやすいが、まだ名もない作家の作品であれば、ある一定のボリュームを持って「こういった作品群がある」といった形において初めて評価対象となりえるということだ。そしてその行程において大事な役割を果たすのが、まさしくコレクターであり、ジャン・デュビュッフェがアール・ブリュットという言葉の名付け親であること以前に、彼自身がコレクターでもあったことがそのことの一つの証明でもあろう。田中さん自身は、純粋にギャラリーで観た瞬間に「胸ぐらを掴まれた」感覚を抱いた作品を直感的に買ってきたわけだが、コレクターが美術分野で果たすこのような役割の重要性については一定同意見を持っているということも確認できた。

 

そして、コレクションという行為に必ず関連してくるのが、市場(マーケット)である。欧米におけるアール・ブリュット専門のギャラリーやマーケットの存在などが知られる中で、日本でアール・ブリュットがどのように市場化していくのか、あるいはしていかないのか、あるいはしていくべきなのかそうでないのか。通常の美術の世界では作家が市場での売買以外に生きていく道が基本的にない中で(本トークVol.5の中沢新一さんとの対話で語れたように、大学教員という道があるにしても)、市場の存在の是非を語ることの背景としては、障害のある作家の権利関係や、そもそも売ろうと思ってつくっていない彼ら彼女らの作品が売買されることに対する倫理的な問題などが絡んでいる。しかし問題の根底は、アール・ブリュットに限らず、また障害の有無など福祉的な背景に限らず、そもそも作家はしっかり守られているのかという問題があると、保坂さんは指摘する。「若いアーティストが騙されたり、それこそ搾取されたりはしているわけです。ギャラリーとの契約の条件が気に食わなくとも、様々な力関係や、ギャラリーがないと対外的に発信をしてもらえないとか、そういう現状がまずいいのかどうかという問題が別にある。それとはまた別に、その現状をアール・ブリュットのほうにも当てはめて考えるのがいいのかという問題もあって、なかなか答えの出る議論ではないんですが、答えを出してから動くということを考えたら多分止まってしまうので、もう動かさざるを得ないのかなという気がしています」。その上で、美術作品を買う、つまりコレクションするという行為を通じて、作家や美術の世界に関係していく、参入していく可能性について、両者ともども語っていく。「単に作品を持つのではなくて、それに作家の人生や自分の新たな人生にも繋がっていく。それを考えていくと、アール・ブリュットの作品を買っていくことの意味というのが、もうちょっと浮かび上がってくるんじゃないでしょうか」と保坂さん。そして田中さんは「作品とともに暮らす、家族の一員として作品を自宅に招き入れるというその時間がいかに豊かで楽しいものかを少しでも知ってもらいたい」と述べつつ、コレクションするという行為からこそ作家を結果的に支えられる活動を伺うにあたって、今後の日本のアール・ブリュットを、より日常的な個人の営みとして支えていく上での希望を感じつつ、トークは幕を閉じた。

 

 

文:アサダワタル(日常編集家 / 本プログラム ディレクター)

 

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アール・ブリュットを巡るトークシリーズ Vol.8

「美術コレクターからみたアールブリュットの魅力」  

ゲスト:田中恒子(美術コレクター、大阪教育大学 名誉教授)

日時:2012218()  14時半~16時半

会場:近江八幡マルチメディアセンター情報会議室

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私の内発性と拮抗する世界 その裂け目から生まれる表現

 

11/26Vol.6では作家の田口ランディさんが登壇。舞台の縁に腰をかけて、参加者ひとりひとりに丁寧に語りかけるようなトークは、「人間の衝動とは、どこから湧いてくるのか」という大きな問いに対する考えから始まった。意識と言葉の関係、そこから生まれる意味、それによって合理的に構築された社会。そして意味性に先立って生まれうる内発的衝動を改めて見つめることにより、アール・ブリュットの作家たちの多くは一体どういう世界に生き、その内発的衝動をどのように表現へと結びつけてきたのか。彼女自身の経験を絡めて展開された。


「よく考えて合理的に動く方が矛盾なく正しいことができる、というのは社会の常識ですよね。行動の前に思考があり、思考があって行動するというパターン。でも私は、考えてから行動するということが私たちの人生にとってそれほど素敵なことなのだろうかってずっと考えてきました。つまり内発性よりも意味性が重視されすぎてるのではないかと」と田口さん。人類史における言葉と意識の発生起源を探ると、その二つはお互いの進化に深く関連しあっていると言われてきた。確かに僕らは言葉で思考し、言葉で意識し、この社会や価値観を作り上げてきたのだろう。そして田口さんは作家だ。言葉を最も扱うタイプの生業であり、もちろん言葉に多大なる恩恵を受けていることはご本人も重々承知している。その上で、氏曰く「アール・ブリュットの作家の中で、言葉に関する障害を持っている人は多いですね。つまり、言葉をうまく操れない。私のように当たり前に言葉を獲得し、言葉でコミュニケーションができるという前提で生きてきた者として、言葉を構築できないということが、どういう世界で生きることなのか、すごく関心があります」。言葉による思考の伝達だけがコミュニケーションの回路ではなく、そうではない別の回路を発見する手がかりとして、またその回路における内発性と意味性の割合について考えるきっかけをアール・ブリュットに求めること。それは、現在の多くの現代人が、無意識のうちに作り上げて来た意味性の勝利(その勝利は、民主主義によって多数が選び取った決断が、実は少数の涙によっても支えられているからこそ多数を優先せざるを得ないという、民主主義が本来内包してきた大切な苦渋を、徐々に忘れさせている)について、再度疑問を投げかけることへと繋がり、「私」の内発性を押しつぶそうとする目に見えぬプレッシャーを再認識することとなるだろう。そしてこの、「私」から生まれる内発性と社会が拮抗する時、そこに「表現」が生まれるということも改めて確認すべきだ。

 

「ここにものすごく重い心臓病の女の子がいます。海外に連れていって心臓移植を受けさせる必要があるけど、そのためには1億円が必要です。だから、みんなが募金をしてこの子を海外の病院に連れていき心臓移植を受けさせたい。これはとってもいいことだから、田口さん!あなたは作家で、影響力があるからぜひ1億円集まるように宣伝してください!みたいなことを頼まれることがよくあります。私はね、ものすごくいつも悩む。おっしゃることはすごくよくわかる。私だって娘がいる。娘が重病になったらきっとそう思うだろう。と、思う反面、悩んでしまう自分もいる。どこに悩むかというと、小説家の仕事は何かっていったら、どんな人生にも意味があるっていうことを伝えることなんだと。つまり、たとえ5歳で死んでしまってもその人生は、その人生としてすべての人生と同じように意味があるということを伝えるのが文学や芸術、つまり表現の役割だと思っているんです」。このことは、社会の常識ととても拮抗する。人はやはり死ぬよりも生きる方がいいという価値観で、生きるのであれば幸せで健康な方がいいし、病気はやはり不幸だという価値観が圧倒的多数である状況に対して、汎用性の高い意味性だけでなく、その人だけの意味や価値観や、内発的に社会に拮抗する衝動をどのように表現として昇華し、文学や芸術として抽象化し訴えていくか。田口さんは、アール・ブリュットに対して、その内発的な衝動から生まれた表現において発生する矛盾や重層性に惹かれると話す。「人間というのはいくつもの面を併せ持っている矛盾した存在なわけで、でもこの矛盾を言葉でもって合理的に整理して生きているんです。でもアール・ブリュットの表現においてはその矛盾を自己言及してもいいんだということが現れている。蝶にも見えるし、お母さんにも見えるし、山にも見える。とても重層的で多様な表現。この矛盾から生まれる重層性や多様性というものが、実は人間がコミュニケーションしたり、社会を形成していく上でものすごく大事なことなんです。そこには2つの対立した意見もまったく別の第三の意見としてまとめていけるような、そういう不思議な力が生まれているんですよ。」

 

後半は、聞き手の保坂健二朗さん(東京国立近代美術館主任研究員)も交えて、参加者との対話。すべてはここでは紹介しきれないが、とりわけ共通した質問にアール・ブリュットという価値観を広げることについての動機や躊躇い、希望や不安、あるいは未知について。田口さんと保坂さんの両者に響き合う考えとして、日本のアール・ブリュットが「福祉という分野だからこそ発見された芸術」というプロセスが語られる。「私たちの社会に存在する人間皆平等とか自由だという言葉がいかに建前であり、現実的には合理的な問題の処理が多数決による解決で進み、それによって少数の意見は否定され、そして合理的に行動できない人たちは排除されるということが確実に社会の中で起こっているということを、福祉というジャンルで活動してきた人たちは、一番、実感してきたんだと思います。だから、この何とも息苦しい世の中をどこかで変えたい、そうじゃない価値観を提示したいって心から願った先に、芸術というものが福祉の中から生まれてきて、発見されて、いま社会に送り出されようとしているんだと」と田口さん。保坂さんは「例えばアール・ブリュットの作品が売れるとわかった場合に、周りが作らせるとします。売れるんだからと、もっとつくればいいじゃないかと。そうすると、内発的な衝動というものが最も大事だったはずのアール・ブリュットにおいて、やっぱり作品の質が落ちていく場合がある。だから少なくともアール・ブリュットにおいては、内発性というものを保持できるような環境を周囲がしっかり守ってあげる必要がある。その周囲が何かしてあげなければいけないというのがアール・ブリュットと、ほかのいわゆるプロフェッショナルなアートとの大きな違いだと思います。実際には、とりわけ日本の場合には福祉という人を支えるプロフェッショナルの方々が実際それをやっているということが非常に重要なんじゃないでしょうか」

 

また最後に、施設のアトリエで作家たちに寄り添う支援員をしている方から「作品を紹介する上での、その人の(障害の有無や種類などの)背景をどれだけ伝えるべきか」という質問があがる。保坂さんは「美術館で働いてきた立場としてずっと作品だけに向き合うというスタンスでいたが、ここ数年で考え方が変わってきました。皆さんによく聞かれるんですよ。この作品を作っている人ってどんな人なんですか?と。この質問はこれまで通常のアート作品ではあまりあがらなかった。だから作品が出発点だけど、その先に作家の人生へと繋がっていくということは良いことだと思ってます」 田口さんは「作家自身やその制作プロセスがあまりにも個性的なので、そこと作品とを自分の中で引き離すことはできなくなってますね。すべてがひとつのインスタレーションのように見えちゃうんです」

 

本レポートのタイトルには「私の内発性と拮抗する世界 その裂け目から生まれる表現」とつけた。改めて、内発的衝動が表現へと向かう瞬間に立ち会うことは、もうひとつの世界の具現化に立ち会うことでもあり、そのことが自分と世界との距離感が生み出す「客観性」や「意味性」を生じさせない、自己と世界がほぼ同一の座標にスキマなく存在する状態を生み出す。つまりアール・ブリュットにおいては、作り手はその内部においては確実に世界を変革しているのであり、そのことを目のあたりにするということは、本トークVol.1の斎藤環さんから語られた「批評せず、関係する」ことによる「私というプログラムが書き換えられるリスクを受け入れる覚悟」を持ってなすべきことであり、その覚悟を引き受けた一人一人の変革の先に、田口さんが熱く口にした「アール・ブリュットの可能性っていうのは、日本の社会を変えていく可能性であり、民主主義の本質を問う可能性なんです」という大きな変革が待っているのかもしれない。

 

 

文:アサダワタル(日常編集家 / 本プログラム ディレクター)

 

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アール・ブリュットを巡るトークシリーズ Vol.6

「アール・ブリュットとの出会い そしてその可能性について」  

ゲスト:田口ランディ(作家) 

日時:20111126()  14時半〜16時半

会場:近江兄弟社学園 教育会館

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日本の文脈 その変化の先で生まれるアンリーダブルな表現

 

11/19Vol.5は明治大学 野生の科学研究所を立ち上げたばかりの人類学者 中沢新一さんが登壇。これまでのトークシリーズでは、作家が制作する施設現場や作品の展示にまつわる内容が主だったが、今回は人類史的な観点、あるいは3.11震災後における日本の時代文脈の流れを踏まえつつ、かなり大きな視点に立った、アール・ブリュットトークが展開された。

 

まず、中沢さんの提唱する「野生の科学」とは何か。野生というのは、あらゆる文明や文化や制度に飼いならされていない(「野生」という概念の参照元になっている人類学者 レヴィ・ストロースの言葉を借りれば「家畜化されていない」)原初的なものを指すこのような何の加工もされていない状態の心が、人間の営みの中で働いているということを仮定し、人間が行うさまざまな現象を理解し直したり、あるいは、それを創造の原理として捉え直そうと考える。クロマニョン人以降の現生人類を指すホモ・サピエンス・サピエンスの登場における悩組織の飛躍的な発達と言語の獲得を紐解きつつ、そういった膨大な時間の流れを経てなおも保存され続ける原初的、すなわちprimal(プライマル:英)でsauvageソバージュ:仏な心のあり方を探りつつ、それが外側に表出される媒体としての「表現」(絵画や詩や音楽など)をつぶさに見つめていくこと。一方、レヴィ・ストロースがかつて研究対象としてきた未開社会の現代的代替イメージとして、「私たちのプライマルな心」を見つめる作業を通じて、合理的な思考法、経済的論理や効率性などに縛られない振る舞いを表現する共同体の事例(山口県熊毛郡上関町の祝島における原発建設反対運動)などにも言及。そういった「野生の科学」的思考を通じて、アール・ブリュットを掘り下げていく時間へと突入していった。

 

中沢さんは、ここ数年、三重県と東京都内にあるアトリエ・エレマン・プレザンとの交流を深めてきた。そこは、ダウン症の人のための絵画アトリエであり、中沢さんが所長を務める多摩美術大学 芸術人類学研究所と協同で、ダウン症の人々の絵を描く行為を通じて表現されたその思考に、未来への可能性を見いだす「ダウンズタウン計画」を進めてきた。以前から抱き続けて来たアール・ブリュットに対する関心とともに、ダウン症の彼ら彼女らが描く作品群を知ったときに、「人間のプライマルな心に踏み込んでいくための大きな道が開けた」と感じた中沢さん。その芸術表現に「アール・イマキュレ」(天使みたいな、無垢なアート)と名付け、本格的な研究に着手。聞き手の保坂健二朗さん(東京国立近代美術館)の「では、アール・ブリュットとアール・イマキュレの違いとは何か?」という問いに対し、中沢さんはアドルフ・ヴェルフやヘンリー・ダーガーの作品例を引きながら「アール・ブリュットの作品の特徴のひとつとして、目がいっぱい出てくる。この目は意識の向こう側からもれてくる光を通す穴をなのではないかもう一つの特徴は、戦争の場面が非常に多いということ」と答えつつ、続けて「しかし、ダウン症の絵画を見た時にそうでもないと。 ここには、戦争がないんですね。色彩が戦争しないんです。完璧なぐらいの調和を保っていて、とても平和的。それは僕にとっては大変な驚きであり発見で、人間の心の探求をした結果、そのプライマルな心の中に、戦争がない世界が大きく広がっているのではないかと考えたのです」。

 

西洋を中心としたアール・ブリュット作家と言われる人たちの多くが、精神系の障害のある人たち、あるいは犯罪者やシャーマンなど、社会的にマージナルな立場の人たちも含まれて紹介されてきた中で、2010年に仏・パリ アルサンピエール美術館で開催された「アール・ブリュット ジャポネ」では、知的障害のある人たちが日本の注目作家としてたくさん取り上げられ、西洋の研究者に驚きを持って迎えられたという経緯がある。そしてその驚きのもとになっている芸術表現のあり方を紐解いてゆくと、前述した「平和」であることの構造上の特徴として「アンリーダブル(言語として読めない)」という解釈へと繋がる。保坂さん曰く「絵は言語のようにある程度論理的に構成され、共有化されているという点では確かに、アドルフ・ヴェルフリの作品などは“読みやすい”のかもしれません。基本的にシンメトリックな構造をとっていたり、たくさんの楽譜が描かれていたり、自分の王国の年代記のようなものをつくろうとしていたので、かなり“読める”タイプの作品」。続けて「それに対して、多くの知的障害者の人たちがつくる、あるいはダウン症の人たちがつくっているタイプの作品というのは、“読めない”というか。例えばエレマン・プレゼンの作家 岡田伸次さんの作品などは、その前に立ったときに、もうその“場”として、包まれるみたいな感覚…」。中沢さんはその意見に乗じて、「平和学」の確立に挑んできた過去の文学者、哲学者のそのアンリーダブルな表現実験における構造の共通点(例えば、ジェイムス・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』や、フィリプス・オレブスの『天国』など)を参照しながら、物語や言語が介在しない、「場」そのものとして作品のあり方の可能性についての議論をさらに深めていった。

 

このトークの後日、中沢さんは思想家の内田樹さんとの対談共著『日本の文脈』(角川書店)を上梓。3.11の震災、福島原発事故後に私たち日本人が進むべき方向を示した書籍だ。「今までは“戦闘少女”なんてアニメで見てればよかった。でもあれ、もう現実になっちゃったから。みんな戦闘服やら放射能防護スーツやらを着なきゃ本当にいけなくなっちゃったんですよ。そういった中で例えば映画の“ダイハード”を観ても全然面白くなくなってしまったり、温泉に使って“日本ってガラパゴスでいいよね”とか本当に言ってられなくなった。本質は変わらないけどそれを語る“文脈”がぼきっと折れるように変わったんです」と中沢さん。そうなってくるとこのトークに引き戻して考えた時に、おそらくアール・ブリュットを語る、あるいはそこから編み出される思考的枠組みを使う上での文脈もまた変わったのではないか。いま、滋賀県をはじめ、様々な地域や機関が、アール・ブリュットに取り組むことの意味を改めて考える必要があるだろう。そういったお題を抱えつつ、美術におけるマーケットのあり方、美術館や美術系大学という制度の機能性の問題などなど、二人の対談はさらに加速していく。保坂さん曰く「アール・ブリュットとの関わり方を考えていく時に、ひとつの答えとして“作家を支えるシステム”というものを今後の芸術活動において作っていくべきだと。アール・ブリュットという領域では、実は福祉の現場を通じて、そういうシステムに結果的になっているわけです。つまり、その通所施設という場所においてアトリエがあって、そこで既に制作が行われていることが、ある意味ゴッホをテオが支えていたというポーズと似ているといえば似ている。だから、そのシステムを、むしろ福祉施設から外の世界により拡大していくことが必要だろうと思います」中沢さんと会場からの質問者の応答プロセスで「アーティスト・ベーシック・インカム」の可能性という話題も出た。これまで往々にして経済的な価値観でのみ評価されがちだった芸術家を、うらやむ対象でも、疎外する対象でもなくて、ともかく支える対象であるというふうに変えていくべきだというのは二人にも共通した考え方のようだ。そのための起爆剤としてアール・ブリュットというものがどのように広がっていくのか。滋賀県における「美の滋賀」の実践への希望と課題も含めて、こういったトークの場を通じて、とにかく議論と批評を繰り広げていくことの必要性を確認し、まだまだ尽きそうにないトークは一旦終了時間を迎えたのだった。

 

 

文:アサダワタル(日常編集家 / 本プログラム ディレクター)

 

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アール・ブリュットを巡るトークシリーズ Vol.5

「芸術人類学からみたアール・ブリュットの現在」  

ゲスト:中沢新一(人類学者 / 明治大学野生の科学研究所 所長)

日時:2011年11月19日(土) 15時半〜17時半

会場:明治大学 野生の科学研究所

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近づいてゆく

 

 1/28Vol.7では、やさしい美術プロジェクト(以下「やさび」と略記) ディレクターの高橋伸行さんが登壇。病院とアーティスト、デザイナーとの恊働で「安らぎのある医療環境」「地域に開かれた病院」を創出すべく、全国で様々な実践を展開されている方だ。まず、彼を招いた背景として、アール・ブリュットの「作家性」を、特定の個人ではなく、その個人も含めた創作環境そのものに見いだすヒントを得たいといった、ディレクターである僕自身の思いがある。そして実際、その幾ばくかヒントを高橋さんの事例から頂けたのだ。

 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009の一環で開催されたプロジェクト「足助アサガオのお嫁入り」。舞台となった新潟県の十日町病院に、愛知県の足助病院のリハビリテーション科で利用者と作業療法士等が育ててきたアサガオの種と苗を「花嫁」として嫁がせるという内容。企画者が両院の仲人となり、「お見合い」→「結納」→「結婚」の段取りを展開。 形として捉えることが難しい「アサガオ」と「病院」の結婚式となるため、両人の代理として新郎役に十日町病院 院長、新婦役に足助病院 作業療法士が務めるというなんともユニークで心温まるプロジェクトだ。瀬戸内国際芸術祭2010の一環で開催されたプロジェクト「つながりの家」。舞台となった大島は島全体がハンセン病患者の国立療養所。ハンセン病回復者の方々が、後遺症と高齢にともなうケアを目的としても現在も島で生活をしている。そこでかつて独身寮だった十五畳の空間を「GALLERY15」と名付け、島の記憶をテーマに様々な展覧会を開催。ある時は過去に生活で使われていた家具や食器などが、またある時はハンセン病患者の知恵の記録としての補助具が並べられる。とりわけ興味深かったのが、約25年前に捨てられたコンクリート製の解剖台を海中から引き揚げた展示。「一言では説明できないほど様々なやりとり、島の人との賛否両論の議論を経て実現した企画です」と話す高橋さん。また、島で生活する方がハンセン病を患って大島に移住しなくてはならなくなった、これまでの人生を語る勉強会。その方とともに大島を巡るツアーを開き、薮の中にある梯子を登って圧巻の海景色スポットに誘われたり。島の中で彼らがどのような過程を経てこの海景色を見てきたのか、できる限りその体験を共有するプログラムを考案・実現していく。また、愛知県の発達センターちよだでのワークショップの取り組みなど、様々に紹介された。

 高橋さんはこう話す。「僕の中では病院で行っているものも、福祉施設でも島でも、やってることはそこにいる人たちに近づいていくということ。それは必ずしも作品という顔を持たない可能性もある」美術家として活動してきた彼は続けて「作品というものがそこでそのものだけで成立しているというよりは、何か色々な関係性があって成り立っている気がしてる」と話す。聞き手の東京国立近代美術館研究員の保坂健二朗さんはそれに対し、「美術館で働いている立場として、また美術史の観点としては多くの人に感動してほしいと思っているからこそ作品を取捨選択しなければならない。例えばゴッホのようにその人生までを知られているような作家でなかったとしても、その作品そのものだけで感動できる。そういった基準が必要なんです」続けて「しかし、感動させると思う意味では、良い意味で狭いコミュニティの中で共有される作品のあり方、感動もあるんだということを高橋さんの話を伺い考えさせられた」と。発達センターちよだに通っている子ども達が、「この場所で、この時間に、この人たちと一緒に何かを作る」ということ。つまり「関係性」が完成品としての作品の強度よりも強い感動を共有させる、そういった「作品」のあり方。だから「この瞬間」をどう味わい、どう共有し、どう未来への記憶として変換してゆくか、そのプロセスそのものに「生々しさ」を伴う。そういった美術の可能性への模索と挑戦。高橋さんは「土の中の植物を抜いた時に、根っこから土からもう色々一緒にくっついてくるような、そういった美術のあり方もあってもいいと思う」と語った。これまでのトークシリーズでは、アール・ブリュットの「作家」と彼ら彼女らが作り出す「作品」というものが存在することを前提に議論されたきたように思える。しかし、「作家」が誰かわからず、かつ「作品」がどれか何かわからない状況の中で、そこで発生した「関係性」だけが、「生の」状態としてその場に湯気をあげて立ち上ってくるような、そんなアール・ブリュットは可能なのか。新たな視点を垣間みれた気がした。

 

文:アサダワタル(日常編集家 / 本プログラム ディレクター)

 

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アール・ブリュットを巡るトークシリーズ Vol.7

「医療・福祉を地域に開く アートプロジェクトとアール・ブリュット」  

ゲスト:高橋伸行(アーティスト / やさしい美術プロジェクトディレクター / 名古屋造形大学准教授)

日時:2012年1月28日(土) 14:30〜16:00

会場:滋賀県立近江学園

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まだその人と出会えていない自分を意識すること

 

 9/3Vol.2では滋賀県社会福祉事業団企画事業部にてボーダレス・アートミュージアムNO-MAの企画運営に携わる田端一恵さんが登壇。前職場である岩手県内の知的障害者入所施設での、戸來貴規さんの「にっき」との出会いのエピソードをメインに、福祉現場で培って来た彼女なりのアール・ブリュットに関わる視点が紹介された。

 トークに通底した前提として、私たちは障害のある人たちと出会う時に、「その人に障害がある」という条件のみによって出会っているということをほとんど疑問に思うことなく受け入れている、という事実が語られる。例えば、サッカーをする人に出会う時、「その人はサッカーをする」という情報を知っていて出会うこともあれば、たまたま出会った人が「サッカーを(も)する人なのね」となることもある。でも、障害のある人たちは、出会った瞬間から「障害のある人」としてのみ、たちまちに認識されることが多い(もちろん障害の種類や程度にもよるが)。田端さんの言葉を借りれば「障害特性がその人を表す要素としてほとんどを占めてるという印象」ということになる。田端さんは支援員として、「当たり前ですけど、彼ら彼女たちを形成しているのは、生まれ持った資質や育った環境、周りの人からの影響、経験みたいなことの沢山の積み重ねだと思うんです」と語りつつ、しかし、一歩福祉の枠外(場合によっては福祉の枠内でも)に出ると、障害という部分だけがどうしても前面に出てしまうことに関して長らく思いを巡らせて来た。障害のある人たちの中には言葉を少ししか使わなかったり、まったく使わなかったりする人もたくさんいる。確かに、言葉はコミュニケーションのツールとして最も効率的なものとして、頻繁に活用される。しかし人間は無意識の下、もっと多くのツール(例えばその人の佇まいとか仕草とか)でもって様々な共感を交わらせているし、その中のひとつとして、絵であったり造形物が使われることもあるだろう。何かしらの視覚的な痕跡をひとまず「アート」と言うのであれば、障害のある人たちのとのコミュニケーションの回路としてそれが有効になることは十分に考えられることだと思う。田端さんはそのことを、「障害のある人と出会う時に、間違いのない出会い方を提供してくれるツールとして、アートが存在するのではないか」と、施設で生活する様々な作り手のエピソードを交えながら語ってくれた。

 このトークの二週間前までNO-MAで個展を開催していた魲万里絵さんの作品集に、田端さんは非常に興味深いテキストを寄せている。タイトルは「私でもあり、私ではない、しかし誰の中にもある私」。そこでは、魲さんの作品を、症状や障害の現れとしてのみ捉えようとする見えない空気に対してどのようにその隙間を掻い潜りながら、しかし同時に「アール・ブリュット」という言葉を与えられたことによる新たな人との出会いをも育みつつ、最後はやはり「一人の個人」として生きていくことを阻まれない、その有り様が見つめられている。

 いま、人の特性を受け取る解像度を如何様にして高められるかという、人間の感受性が試されているように思う。それは「障害」ということのみ限った話ではなく、その人が124時間、1365日生きる中でのどの部分と出会うか。それは肩書きや目に見える情報だけを以てして「出会った」ということにするのではなく、出会う相手である本人すら意識していないような癖とか慣習とか、そこから生み出された痕跡としての「アート」とか。そういったものまでを含めて「出会える」かどうか。仮に出会えなくともそういう多面性を想像できるかどうか。その意識を持つことに対して幾許かのヒントを与えてくれるものとして、「アール・ブリュット」という言葉は、それこそ「意識的」に使われていくべきなのかもしれない。

 

文:アサダワタル(日常編集家 / 本プログラム ディレクター)

 

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アール・ブリュットを巡るトークシリーズ Vol.2

「アール・ブリュットが生まれる瞬間 -現場から-」  

ゲスト:田端一恵(滋賀県社会福祉事業団企画事業部・ボーダレス・アートミュージアムNO-MA)

日時:2011年9月3日(土) 10:30〜12:00

会場:岩手県民会館第2展示室

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ノーリミットな作業

 10/1のVol.4では動物行動学者で滋賀県立大学教授の細馬宏通氏が登壇。2008年に滋賀県立近代美術館で開催された展覧会「アール・ブリュット-パリ、abcdコレクションより-生命(いのち)のアートだ」のギャラリートークにも出演されていた細馬氏。彼のアール・ブリュットに対する関心姿勢は一環しており、それは、作家の内面性に言及するのではなく、作品の制作工程で発生する“作業”の創造性をつぶさに見ていくことだ。人間の行動を研究している細馬氏ならではのある意味ドライな視点は様々な発見を参加者に提供してくれた。
 例えば、すずかけ作業所の舛次崇さんのエピソードでは、「舛次さんの特徴である輪郭のボケ。これはパステルをきゅっと持ちながら描いている手が次第にくろずみ、さらに手のひらの下にも黒がついて、そのま描き続けている間に、塗っているところ以外の箇所までキャンパスがこすれて汚れていく。これがあの独特の輪郭を生んでいるんです」 続けて、「普通なら輪郭の上だけ黒く塗れたらそれで終わりなはずの作業が、過剰に塗り過ぎてケント紙がどんどん毛羽だっていく。それでもやめないので、こすりすぎて独特なふくらみと立体感が生まれる。消しゴムでも一緒。まるでパステルのように過剰に消しゴムを使うので消しカスが大量に発生し、そのことがまた輪郭をボヤかすんです」 また、同時期にNO-MAで開催されていた展覧会「フィギュアたちの人生」にも出展してた石野敬祐さんのエピソードでは、「とにかく作業シーンが衝撃的なんです。インクの投入量の多さ。それに女の子モデルを描いた下絵を立体に変えるため、ハサミを入れていくんですが、なんと大胆にもスカートのど真ん中から切る。」この会話に呼応して、聞き手の保坂健二朗氏(東京国立近代美術館研究員)も「まず完成品にポスカラやマジックペンを使っていること自体が面白い。インサイダーの作家ではありえないですね」と答える。話はアロイーズやヘンリー・ダーガーなど海外のアール・ブリュット作家にまで及び、ますます作家の制作作業での「ボケ」に対するするどい「ツッコミ」が繰り広げられ、会場に笑いを沸かせる。
 かつてアール・ブリュット作品をこういった即物的かつ淡々と語る視点があっただろうか。しかしのこの視点こそが、ある意味ではアール・ブリュット作家の特徴を適確に言い当てているとも言える。細馬氏が伝えたいことはアール・ブリュットにおいては、結果としての作品だけでなく、過程としての制作作業そのものが非常に創造的でパフォーマティブである、ということだ。そしてそのパフォーマンス的作業が生まれる背景として、細馬氏は、「リミッター」という言葉を使った。「何かしらの行動を起こす際に、普通の人は自分のリミッター自体がどこにあるかがわからない。“ああそろそろ限界やから”とかを意識するのではなくもっとオートマティックにリミッターがかかる。でも、アール・ブリュットの作家の多くにはそのリミッターがかからないように見える」 このリミッター問題は、表現により自我を超えようとする芸術家の多くに希望と羨望を投げかけつつ、それを関係する人々にアール・ブリュットと繋がる新たな回路を教えてくれたようだ。

 

文:アサダワタル(日常編集家 / 本プログラム ディレクター)

 

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アール・ブリュットを巡るトークシリーズ Vol.4

「コミュニケーションの回路としてのアール・ブリュット」  

ゲスト:細馬宏通(動物行動学者 / 滋賀県立大学 教授)  

日時:2011年10月1日(土) 14:00〜16:00

会場:滋賀県立大学サテライト・プラザ彦根 

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あて(宛)のない“私"を受けとる“私”がいるということ

 

 9/24のVol.3ではボーダレスアート・ミュージアムNO-MAでアートディレクターを務めるはたよしこ氏が登壇。国内のアール・ブリュット普及における第一人者である彼女の最初の言葉は「“人の表現にボーダーはあるのか、ないのか” まずここから話を始めたい」。NO-MA開館記念として2004年に開催された「私あるいは私 ~静かなる燃焼系~」、2005年の「縫う人~針仕事の豊かな時間」。この二つの展覧会における作家の作品と人物像を紐解きながら、アール・ブリュット作家と現代美術作家の共通点を探っていく。はた氏は「表現活動の根っこにあるのは、極めて私的な美の追求」である点を両者の共通点としつつも、その追求の先に辿り着く場所、あるいはその美を届けたい他者が存在するか否かについては、隔たりがあることを語る。「自分は絵本を描いてきたが、どうやったら小学生に喜ばれるかなどをずっと考えてきた。でもアール・ブリュットの作家は“なんのあてもなく”作品を作り続けている。その表現の原点はどこにあるのか。それを知りたいんです」例えば、自閉症の作家の中には、文字に対して高い関心を示す人が多い。彼ら彼女らは自分と世界との関係性が流動していく、その変化に対して非常に敏感であり、多くの人が見過ごす変化に対しても混乱を起こすことが多いらしい。だからなのか、彼らは文字やロゴマークといった「必ずそこにある」ものを手がかりに、世界に自分を繋ぎ止めているのかもしれない。この考えはあくまで推測ではあるが、しかし、文字にこだわるかどうかはさておき、多くの表現者にとって「私がこの世界をこのような方法で捉え、そしてそのことによって世界と繋がっている」という考えそのものは、やはり非常に通低しているのではないか。

 聞き手の保坂健二朗氏(東京国立近代美術館研究員)はこの考えを2009年に「この世界とのつながりかた」という「ズバリ」なタイトルの展覧会に仕立て上げた。彼がこの展覧会を通して提案したのは、はた氏が目指すボーダレスな展示とまた違ったスタンスである。「現代美術の状況をあえて大きく2つに分けるのであれば“コンセプチャルなアート”と“腹の底(魂)から沸き上がるようなアート”。後者はこれまでアール・ブリュットの性質との共通点を見い出しやすかったが、美術研究者としてはあえて前者とアール・ブリュットをボーダレスに展示してみたい」と保坂氏。様々な展示のあり方から見えてくるのは、それらを鑑賞する人自身もその「世界とのつながりかた」を自分なりに転用できるような可能性だ。“私”の方法は、別の“私”である“あなた”にとってもリアリティを持ち得るかもしれないし、その“あなた”がリミックスして作り上げた方法がまた、別の”私”を揺り動かすこともありえるだろう。そう考えると、ボーダレスな展示とは、「作家」と「鑑賞者」のボーダーすら揺らしていく未来までを想定しているのかもしれない。

 

文:アサダワタル(日常編集家 / 本プログラム ディレクター)

 

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アール・ブリュットを巡るトークシリーズ Vol.3

「アール・ブリュットを訪ね歩く ボーダーを超える実践的取り組み」  

ゲスト:はたよしこ(ボーダレス・アートミュージアムNO-MA アートディレクター / 絵本作家)  

日時:2011年9月24日(土) 14:30〜16:30

会場:近江兄弟社大教室(近江兄弟社学園 本館1F) 

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「私があなたによっていかに変えられたかを伝えること」

 

 7/9に開催されたトークシリーズでは、精神科医の斎藤環氏がご登壇。アール・ブリュット(以下「AB」と略記)という概念が生まれた歴史的経緯、定義付けをはじめ、AB作品の海外との現状比較、AB作品と関わる上での基本的な心構えについてなど、幅広くお話を伺った。僕がとりわけ重要だと感じた点は、ABに置ける批評についての彼の考え方だ。彼は以前からAB作品においては「批評ではなく、関係せよ」と説いてきた。そしてその作品と関係することにより「“私というプログラム”が書き換えられるリスクを受け入れる覚悟が必要」とも。

 ちなみに僕は、美術分野と福祉・医療分野との狭間で浮遊するABという不思議な存在を、まだ見ぬ他者に伝えることを命題に、編集者のようなポジションを担っている。展覧会を開催する立場でも、多くの作家が生活する施設や病院の職員という立場でもない僕にとって、作家たちの「作品」と彼ら彼女らの「生活」という二つの軸が交わるグレイゾーンと関係を取り持つこととは一体どういうことか、ここ数年考え続けている。そんな中、斎藤氏が発した「“私というプログラム”の書き換え」問題を考えるうちに、僕は突如として政治社会者の栗原彬氏の「存在の現れ」という言葉を思い出した。  

 彼の著作では、あらゆる政治的、経済的、社会的、文化的なシステムから解き放たれた一人一人の人間の矜持を現す運動、すなわち「存在の現れ」が語られている。このことに意識的になる過程で、あらゆる問題における当事者と非当事者、加害者と被害者の関係性が相互転倒をおこしてゆく。その時はじめて、他者の気持ちや意思を無闇に代弁することについてふと立ち止まる。  

 AB作品において「批評をせずに関係する」ということは、まさしく、作家たちの思いを代弁することではなく、私たちの存在が彼ら彼女らの作品や生活を通していかに変えられてしまったか、その報告を含めた行動までを指すのではないか。質疑応答の時間で斎藤氏は、ヘンリー・ダーガーとの出会いのエピソードを語ってくださった。彼自身が「戦闘的美少女の精神分析」という一冊の本を書き上げるにまでに影響を及ぼしたその出会いの報告を聞いて、ようやく彼の冷静な講演の中にみなぎる熱い訴えが観客の心に響いたのではないか。

 

 文:アサダワタル(日常編集家 / 本プログラム ディレクター)

 

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アール・ブリュットを巡るトークシリーズ Vol.1

「アール・ブリュット作家の共通性と固別性」  

ゲスト:斎藤環(精神科医)  

日時:2011年7月9日(土) 14:30〜16:30

会場:ヴォーリズ平和礼拝堂(近江兄弟社学園 本館5F) 

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「0視点レポ」 

 

 長年、琵琶湖の研究を始め、滋賀県ならではの「美」のあり方を追求されてきた滋賀県知事 嘉田由紀子さん。そしてアール・ブリュットの研究に造詣が深い東京国立近代美術館研究員の保坂健二朗さん。「3.11」後に私たちが自然とどのように関係していくかという大きな問題意識から、これからの美術、もしくは美術館と地域社会との関わり方を模索した。

 その中で、アール・ブリュットという作品類においては、たとえ美術館収蔵/展示というプロセスを辿りつつも、その作品が生み出された福祉・医療施設における作家の日常行為やその記憶が、本来的に強くその作品の内部に包摂されていることを確認。作品単体では語りきれず、「どこで、だれが、どのように作っているか」を観る者に想像させるアール・ブリュットの存在から、人間と地域の文明、そして自然、そのすべてがボーダレスな関係性を持った有機的な社会のあり方(嘉田さんはこのことを、「これまでの中央集権的な“水道型社会”から、コミュニティに根付く水脈を拠り所とする“湧き水型社会”へ」と語った)を見いだすヒントを得た。

 また、「3.11」後の表現の可能性を探る上で、嘉田さんは、私たちの日常の身近にあるものを様々に組み合わせながら、そこに意味づけをしていく「ブリコラージュ」という発想に言及。一方、保坂さんは美術館という枠組みに収まる「ミュージアムピース」としての作品のあり方がどのように変化していくのか、またその変化の中で求められる「エコロジカルなアーティスト」のあり方とは何か、という問いを投げかけ、新しい美術館の可能性を示唆する興味深い展開となった。

 

文:アサダワタル(日常編集家 / 本プログラム ディレクター)

 

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アール・ブリュットを巡る トークシリーズ プレ企画

「アール・ブリュットの魅力と美術館」

ゲスト:嘉田由紀子(滋賀県知事)×保坂健二朗(東京国立近代美術館研究員)  

日時:2011年6月18日(土) 18時〜20時 

会場:ヴォーリズ平和礼拝堂(近江兄弟社学園 本館5F)

 

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